読書術 ― 2009/06/02
ずいぶん前の週刊東洋経済で佐藤優が読書術を指南していた。
だいたいしか覚えていないが、彼曰く、三種類の読書を使い分けろ、と。
すなわち、「超速読」と「普通の速読」、そして「熟読」である。
超速読は、一冊五分。目次や見出し、ゴシック体ののところ、結論部などをざっと読み、読むか読まないか、熟読するか普通の速読にするかを選別するための読書。
普通の速読は、一ページ30秒で、決して返り読みせず、ひたすら線を引き、丸で囲み、付箋を貼りながら一気に最後まで読む。
熟読は、一冊を三度読む。一度目は線を引き、付箋を貼りながら通読。
二度目は特に重要な箇所を抜き書きしていく。抜き書きは全体量の10%以内。自分のコメントも適宜つけていく。三度目は二度目につくったノートを踏まえて再度通読し、特に結論から著者の議論のエートスをつかむ。
とまあ、だいたいこんな話だった。
三つの読書法のうち、超速読と熟読は、文系の研究者なら普通にやっていること。
書店で本を手に取り、表紙、裏表紙、著者プロフィール、目次、文献一覧、索引、あとがき、まえがきを読んでハイ5分みたいなことは、日常だろう。これは、どういう本が出ているのかという情報をとるための作業だから、「読書」という意識はないし、まして「超速読」などと称したりもしないが、まあ大事な作業であることはたしか。
「ノートを取りながら三回読め」とは、輪読のゼミなら、どの教官でも指示すること。まず通読、次にノート、そして再度通読で自分にとってのその本の意義を確認(輪読のゼミなら、これではじめてレジュメが書ける)というのは、当たり前の手順。
おそらく佐藤式読書術の要は、「普通の速読」にあるのだろう。だが、私はこういう読み方はほとんどしない。ひとつは読む本の種類もあるし、また一応職業研究者のはしくれである以上、そこまで時間を節約して本を読むよりは、ほかのことにかかる時間を節約して本を読むべきだからでもある。強いて言えば、学部低学年向けのゼミのテキストを授業の直前に(何年かぶりに)読み返すようなときは、こういう読み方をしていなくもないが、それも初見での話ではない。
実際的には、私は佐藤式とは違って、「普通の速読」はしないかわりに、軽い熟読と重い熟読を、なんとなく、使い分けてはいるかもしれない。
軽い熟読では、一読目に線を引きページの端を折り、余白にちょっとした図式を描いて整理しながらよんでしまい、あとから線を引いたところと自分が書いた整理を確認するためにざっと通読して終わりというもの。わりと分厚い本でも、専門が近く、自分の議論のマッピングのなかでのその本の位置にあらかじめあたりがついている場合は、これで済んでしまうことが多い。
重い熟読は、一読目は軽い熟読と同じだけれども、二読目でさらに詳しくノートや関連文献リストなどを作りながら読み(というか読まざるをえなくなり)、それからノートの内容のスジを俯瞰的に再考するために三読する。
と、こんな話を学生としていたら、ある学生が「その軽い熟読の仕方をもっと教えてほしい」と言い出した。方法だけ抜き取って教えられることには限界があるので、「実演」を示しましょということで、軽く熟読した本の中で手ごろなものの線を引いた部分の抜き書きと余白に書いたメモをこのブログにアップしてみることにした。それが昨日から始まっているエレン・メイクシンズ・ウッドの『資本の帝国』の抜き書き。一応最後までやるつもり。
追記
ただし誤訳の指摘は、実際の軽い通読では、一読目で「誤訳?」と本に書き込むだけ。あとで原書で確認する。今回はブログにアップするにあたり、ちょっと手間をかけて、誤訳箇所の原文と訂正案も書いてみた。でも面倒だから、あとの章ではもうやらないかも。
だいたいしか覚えていないが、彼曰く、三種類の読書を使い分けろ、と。
すなわち、「超速読」と「普通の速読」、そして「熟読」である。
超速読は、一冊五分。目次や見出し、ゴシック体ののところ、結論部などをざっと読み、読むか読まないか、熟読するか普通の速読にするかを選別するための読書。
普通の速読は、一ページ30秒で、決して返り読みせず、ひたすら線を引き、丸で囲み、付箋を貼りながら一気に最後まで読む。
熟読は、一冊を三度読む。一度目は線を引き、付箋を貼りながら通読。
二度目は特に重要な箇所を抜き書きしていく。抜き書きは全体量の10%以内。自分のコメントも適宜つけていく。三度目は二度目につくったノートを踏まえて再度通読し、特に結論から著者の議論のエートスをつかむ。
とまあ、だいたいこんな話だった。
三つの読書法のうち、超速読と熟読は、文系の研究者なら普通にやっていること。
書店で本を手に取り、表紙、裏表紙、著者プロフィール、目次、文献一覧、索引、あとがき、まえがきを読んでハイ5分みたいなことは、日常だろう。これは、どういう本が出ているのかという情報をとるための作業だから、「読書」という意識はないし、まして「超速読」などと称したりもしないが、まあ大事な作業であることはたしか。
「ノートを取りながら三回読め」とは、輪読のゼミなら、どの教官でも指示すること。まず通読、次にノート、そして再度通読で自分にとってのその本の意義を確認(輪読のゼミなら、これではじめてレジュメが書ける)というのは、当たり前の手順。
おそらく佐藤式読書術の要は、「普通の速読」にあるのだろう。だが、私はこういう読み方はほとんどしない。ひとつは読む本の種類もあるし、また一応職業研究者のはしくれである以上、そこまで時間を節約して本を読むよりは、ほかのことにかかる時間を節約して本を読むべきだからでもある。強いて言えば、学部低学年向けのゼミのテキストを授業の直前に(何年かぶりに)読み返すようなときは、こういう読み方をしていなくもないが、それも初見での話ではない。
実際的には、私は佐藤式とは違って、「普通の速読」はしないかわりに、軽い熟読と重い熟読を、なんとなく、使い分けてはいるかもしれない。
軽い熟読では、一読目に線を引きページの端を折り、余白にちょっとした図式を描いて整理しながらよんでしまい、あとから線を引いたところと自分が書いた整理を確認するためにざっと通読して終わりというもの。わりと分厚い本でも、専門が近く、自分の議論のマッピングのなかでのその本の位置にあらかじめあたりがついている場合は、これで済んでしまうことが多い。
重い熟読は、一読目は軽い熟読と同じだけれども、二読目でさらに詳しくノートや関連文献リストなどを作りながら読み(というか読まざるをえなくなり)、それからノートの内容のスジを俯瞰的に再考するために三読する。
と、こんな話を学生としていたら、ある学生が「その軽い熟読の仕方をもっと教えてほしい」と言い出した。方法だけ抜き取って教えられることには限界があるので、「実演」を示しましょということで、軽く熟読した本の中で手ごろなものの線を引いた部分の抜き書きと余白に書いたメモをこのブログにアップしてみることにした。それが昨日から始まっているエレン・メイクシンズ・ウッドの『資本の帝国』の抜き書き。一応最後までやるつもり。
追記
ただし誤訳の指摘は、実際の軽い通読では、一読目で「誤訳?」と本に書き込むだけ。あとで原書で確認する。今回はブログにアップするにあたり、ちょっと手間をかけて、誤訳箇所の原文と訂正案も書いてみた。でも面倒だから、あとの章ではもうやらないかも。
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