嫌な予感 ― 2009/07/03
ここ数日、atの連載の締め切りに追われまくり、昨夜やっと脱稿。この間、PCが壊れたり、急な対応が必要なパッド・ニュースが入ったりで、ボロボロ。しかし明日は、某研究会で報告を予定しており、そこまでは倒れられない。ここまで微妙に締切が連鎖して、その緊張感で倒れずにきたが、明日の研究会後にわずかに間があくので、そこで気が抜けてガクっとこないか、嫌な予感。
ここ数日の備忘。
火曜日。
博士の研究報告会。五連発。朝11:00から夕方18:30まで。あいだに全学関係の厄介な会議も。へろへろ。
水曜日。
午前中は原稿書き。
午後は学部ゼミと院ゼミ。
木曜日。
午前中は会議。
会議後、当然原稿書き。夜半に脱稿。
ここ数日の備忘。
火曜日。
博士の研究報告会。五連発。朝11:00から夕方18:30まで。あいだに全学関係の厄介な会議も。へろへろ。
水曜日。
午前中は原稿書き。
午後は学部ゼミと院ゼミ。
木曜日。
午前中は会議。
会議後、当然原稿書き。夜半に脱稿。
ジョヴァンニ・アリギ、逝く ― 2009/07/03
このブログでも、『長い20世紀』のことなどで触れてきたジョヴァンニ・アリギが、去る6月18日にボルティモアで亡くなりました。
ずっと悪いとは聞かされていたのですが、今年の初めにビンガムトン時代の友人から聞いた話では、とても末期とは思えない迫力で講演をこなしていたとのことだったので、あまり現実味をもって受け止めていませんでした。
彼の最後のポストはジョンズ・ホプキンズ大学でしたが、私がビンガムトンにいたころは、彼もまだビンガムトンにおり、ちょうど『長い20世紀』を出したあとで、彼は東アジアが次のサイクルの中心を担うというテーゼを追求しようとしているところでした。
当時の私は、東アジアを次のヘゲモニーと想定する彼の論調に、ついていけず(いまでは彼の議論がもう少しニュアンスのあるものだということもわかるつもりなのですが)、すこし引き気味で付き合っていました。しかし、思い返すと、英語が下手で、なかなか思うように自分の研究関心を伝えられなかった私に、最初にストレートに励ましを与えてくれたのは、彼でした。二つめのセメスターに、研究室に相談に行ったときのこと、部屋に入って椅子にかけるなり、「今学期に入って、急に存在感が出てきたじゃないか。みんなキミの理論家ぶりに驚いているよ」と彼が言ってくれたことは(今思えば、彼流の大げさな励ましだったのでしょうが)忘れられません。
彼は理論家としての自分の天才を確信しているようなところがあり、Theoretical Studiesのクラスの冒頭、「この授業でオレが話すような図式的な議論のマネをキミらが、『自分にもできるかも』なんて、かんがえてもみるんじゃないぞ」と釘をさされて、仰天したこともよく覚えています。実際、日本ではあまり知られていない名著Geometry of Imperialismに出てくる帝国主義の類型的展開は、彼以外の手では不可能なアクロバティックでしょう。
舞台上での論争になると実に明晰かつチャーミングで、2002年にカリフォルニアで開かれた世界システム論の学会大会で、彼がパトリック・オブライエンと繰り広げた論争は、本当に痛快でした。同じ大会では、私も自分の近世帝国論について報告しましたが、その報告を聞いて「ついにウォーラーステインとフランクを総合しようというやつが現れた」と評してくださいました。あまり単刀直入に私の意図の本質に迫る評言で、うまくお礼も言えませんでしたが。
学生の立場からすると、かなり王様的なところもあり、ずいぶん雑巾がけをさせられた学生も実際いたようですが(私は免れましたが)、それでも不思議に周りにはつねに彼を慕う学生がたくさん集まりました。彼のイタリア語なまりの強い英語(ビンガムトンに慣れたころには、私でさえ、彼の口マネをして学生同士で笑い合ったものです)を、懐かしく思い出します。
フランクに続いて、アリギも世を去り、この分野で学問形成をしてきた者としては、いよいよ自分で考えなくてはならなくなったという思いを強くします。
ジョヴァンニの冥福を祈りたいと思います。合掌。
ずっと悪いとは聞かされていたのですが、今年の初めにビンガムトン時代の友人から聞いた話では、とても末期とは思えない迫力で講演をこなしていたとのことだったので、あまり現実味をもって受け止めていませんでした。
彼の最後のポストはジョンズ・ホプキンズ大学でしたが、私がビンガムトンにいたころは、彼もまだビンガムトンにおり、ちょうど『長い20世紀』を出したあとで、彼は東アジアが次のサイクルの中心を担うというテーゼを追求しようとしているところでした。
当時の私は、東アジアを次のヘゲモニーと想定する彼の論調に、ついていけず(いまでは彼の議論がもう少しニュアンスのあるものだということもわかるつもりなのですが)、すこし引き気味で付き合っていました。しかし、思い返すと、英語が下手で、なかなか思うように自分の研究関心を伝えられなかった私に、最初にストレートに励ましを与えてくれたのは、彼でした。二つめのセメスターに、研究室に相談に行ったときのこと、部屋に入って椅子にかけるなり、「今学期に入って、急に存在感が出てきたじゃないか。みんなキミの理論家ぶりに驚いているよ」と彼が言ってくれたことは(今思えば、彼流の大げさな励ましだったのでしょうが)忘れられません。
彼は理論家としての自分の天才を確信しているようなところがあり、Theoretical Studiesのクラスの冒頭、「この授業でオレが話すような図式的な議論のマネをキミらが、『自分にもできるかも』なんて、かんがえてもみるんじゃないぞ」と釘をさされて、仰天したこともよく覚えています。実際、日本ではあまり知られていない名著Geometry of Imperialismに出てくる帝国主義の類型的展開は、彼以外の手では不可能なアクロバティックでしょう。
舞台上での論争になると実に明晰かつチャーミングで、2002年にカリフォルニアで開かれた世界システム論の学会大会で、彼がパトリック・オブライエンと繰り広げた論争は、本当に痛快でした。同じ大会では、私も自分の近世帝国論について報告しましたが、その報告を聞いて「ついにウォーラーステインとフランクを総合しようというやつが現れた」と評してくださいました。あまり単刀直入に私の意図の本質に迫る評言で、うまくお礼も言えませんでしたが。
学生の立場からすると、かなり王様的なところもあり、ずいぶん雑巾がけをさせられた学生も実際いたようですが(私は免れましたが)、それでも不思議に周りにはつねに彼を慕う学生がたくさん集まりました。彼のイタリア語なまりの強い英語(ビンガムトンに慣れたころには、私でさえ、彼の口マネをして学生同士で笑い合ったものです)を、懐かしく思い出します。
フランクに続いて、アリギも世を去り、この分野で学問形成をしてきた者としては、いよいよ自分で考えなくてはならなくなったという思いを強くします。
ジョヴァンニの冥福を祈りたいと思います。合掌。
独立記念日 ― 2009/07/04
金曜日は、脱稿の反動で使い物にならず。
土曜日は、東大の古矢洵先生に誘われて、都内某所で研究会。よりによって独立記念日にアメリカ研究の専門家に囲まれて報告をする。ポスト世界システム論の諸理論をアメリカ帝国の観点から整理する雑駁な話をする。
土曜日は、東大の古矢洵先生に誘われて、都内某所で研究会。よりによって独立記念日にアメリカ研究の専門家に囲まれて報告をする。ポスト世界システム論の諸理論をアメリカ帝国の観点から整理する雑駁な話をする。
気がつけば ― 2009/07/11
一週間も更新が滞ってしまった。
この一週間分の備忘。
日曜日
ひさびさに少し朝寝。
月曜日
二時間目、輪読。ベック『グローバル化の社会学』第六章。
三時間目、Socio-Cultural Studies。Ritzer, Macdonaldization of Society, Ch. 1&7。
四時間目、学部ゼミのゼミ生と面談。
五時間目、オムニバスゼミ。ハイブロウな質問がたくさんでる。
授業後、いつもより少し早めに帰る。
火曜日
午前中、学部ゼミのゼミ生と面談。
昼休み、学部ゼミのゼミ生と面談。
午後、会議、13:30始まり、終わったら19:00前。疲弊。
水曜日
午前中、某対外連携案件で、N先生と打ち合わせ、そのあとすぐに資料作成。
昼休み、オムニバスゼミの担当者で打ち合わせ。
三時間目、学部ゼミのゼミ生と面談。
四時間目、学部ゼミ。
五時間目、院ゼミ。Adas, Machines as the Measure of Men, Ch.3。19世紀に入り、いよいよ科学・技術という基準が前景化してくる。基準の一元化によって、空間的差異が時間的差異に読みかえられてくるところがポイント。
細かい論点として、イギリスの保守主義者(カーライルやラスキン)が、内向きにはcon技術文明的だが、外向きにはpro技術文明的になるあたり、今日の(ポランニアン的な)反グローバリズム言説と微妙に重なるところがあって関心をひく。
木曜日
午前中、会議。
会議後、新幹線に乗って東京へ。車中は、こまごまとしたメールの返事など。
金曜日
半年振りに自室の片付けをする。少しだけすっきりする。
土曜日
翌週の授業の準備。
NTT出版のウェブ連載の原稿を書く。仕上がらず。
この一週間分の備忘。
日曜日
ひさびさに少し朝寝。
月曜日
二時間目、輪読。ベック『グローバル化の社会学』第六章。
三時間目、Socio-Cultural Studies。Ritzer, Macdonaldization of Society, Ch. 1&7。
四時間目、学部ゼミのゼミ生と面談。
五時間目、オムニバスゼミ。ハイブロウな質問がたくさんでる。
授業後、いつもより少し早めに帰る。
火曜日
午前中、学部ゼミのゼミ生と面談。
昼休み、学部ゼミのゼミ生と面談。
午後、会議、13:30始まり、終わったら19:00前。疲弊。
水曜日
午前中、某対外連携案件で、N先生と打ち合わせ、そのあとすぐに資料作成。
昼休み、オムニバスゼミの担当者で打ち合わせ。
三時間目、学部ゼミのゼミ生と面談。
四時間目、学部ゼミ。
五時間目、院ゼミ。Adas, Machines as the Measure of Men, Ch.3。19世紀に入り、いよいよ科学・技術という基準が前景化してくる。基準の一元化によって、空間的差異が時間的差異に読みかえられてくるところがポイント。
細かい論点として、イギリスの保守主義者(カーライルやラスキン)が、内向きにはcon技術文明的だが、外向きにはpro技術文明的になるあたり、今日の(ポランニアン的な)反グローバリズム言説と微妙に重なるところがあって関心をひく。
木曜日
午前中、会議。
会議後、新幹線に乗って東京へ。車中は、こまごまとしたメールの返事など。
金曜日
半年振りに自室の片付けをする。少しだけすっきりする。
土曜日
翌週の授業の準備。
NTT出版のウェブ連載の原稿を書く。仕上がらず。