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名古屋にて2009/03/31

学会の仕事で名古屋に。ここ数日の業務日誌をまとめて。

金曜日は、某出版社のかたと会食。
せっかく良い店に連れ行ってくださったのに、じんましんで酒が飲めず。
アルコールなしで約四時間、大放談する。
先方の本題は、これまで私が書き散らしてきたワイン関係の雑文がすでに原稿用紙で200枚以上になっているらしく、もう少し書き足して本にしましょうとのこと。うわお。

土曜日は、柄谷行人さんのお誘いで長池講義へ。ゲストは苅部直さん。私が途中で脱落した某研究会でお会いして以来、久しぶりにお会いする。主権国家の相対化としての政治的多元主義という観点で、丸山真男から吉野作造へ遡行するアソシエーショニズムの系譜を提示する報告。さすがに面白かったです。
くわえて、高澤秀次さんといとうせいこうさんが、鎌倉末期から南北朝期の芸能史を交通空間の拡大の観点から総ざらえする刺激的なお話。ほかに、いとうせいこうさんからは、ここに書けないめちゃめちゃ面白い話をうかがう(ヒント:「連載小説空間」でググってください)。
最後に柄谷さんのお話。十八世紀後半から現在にいたる世界システム内の反復について。最大の論点は、自由主義と帝国主義の交替。
 1750-1810 帝国主義
 1810-1870 自由主義∽イギリスの覇権
 1870-1930 帝国主義
 1930-1990 自由主義∽アメリカの覇権
 1990-    帝国主義
常識とは少しちがい、ここでいう自由主義とはヘゲモニー国家がある状態、帝国主義とはヘゲモニー国家ない状態をさしている。
自由主義というのは、ヘゲモニー国家が自己に都合のいい秩序として自由主義イデオロギーを採用する局面のことであり、帝国主義とは、そのようなイデオロギー的押し付けができる単一の勢力が不在で複数の勢力間の闘争にひらかれてしまう局面のことだ。
議論としては、ウォーラーステインの換骨奪胎なのだが、これには考えさせられた。
柄谷さんの発想が60年×ふたコマの反復で過去五百年で考えられている(上の表は途中から書き起こされており、柄谷さんはオランダのヘゲモニーも含めて考えておられる)のに対して、私は、60年×さんコマでひとサイクルとして、もう少し長いスパンで考えている――その場でコメントをもとめられたので、しどろもどろになりながら、これだけは答えたものの、この違いがなにを意味するのかは、もう少しじっくり考える必要がある。

日曜日は、息子の保育園入園準備など家庭の用事に追われる。朝日新聞の朝刊に柄谷さんがアリギの『長い20世紀』の書評をだしておられた。前日の話からも直接に出てくる近未来像は、2050年ごろを境に、帝国的闘争の局面から、なんらかの「自由主義」的なイデオロギー的閉鎖へ向かうということだ。この結論部分は、私の『現代帝国論』と重なっている。

月曜日、比較文明学会の編集委員会で南山大学へ。奥山倫明新編集長下の初会合。編集委員にも大幅な入れ替えがあった――のを、失念しており、名刺を用意せず、礼を失してしまう。同志社大学の森孝一先生にはじめてお会いし感激。
次号の特集テーマをめぐりかなり議論に。宿題を背負って宿に帰る。


私信(kさんへ)
温かいコメントありがとうございます。翻訳がんばります。

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