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『資本の帝国』抜き書き(第五章「海外に拡張する経済の至上命令」)2009/06/05

p. 150
資本主義は経済的な至上命令だけを原動力とする。まず生産者は、何も所有しないので、生計をえるためには労働力をうらざるをえない。しかし他方で、搾取する側も経済的な至上命令に服しているので、競争しながら蓄積せざるをえなくなる。ところがこうした経済的な至上命令を実行し、しかも維持するためには、経済外的な力が必要になる。イングランドは帝国の領土で経済的な至上命令が実行されるように、まず植民地で強制力を使って入植し、収奪した。

p. 150
大英帝国にはそれまでの植民計画と異なる重要な特徴があった。帝国のホームから発せられる資本主義の命令がすべてに優先したのである。

※アイルランドはその「実験場」となるが、インドではそれが貫徹しない。

p. 152
皮肉なことに、インドの植民地においてイギリスは、以前の非資本主義的な帝国主義に逆戻りするように見える。東インド会社の商業的な帝国主義が復活し、イギリスがインドの領土を支配する帝国を構築するようにみえるからである。資本主義の至上命令と、領土の支配をめざす帝国主義の要求の間に強い緊張が維持され、これが最後まで大英帝国のありかたを決定づけることになる。

p. 153
スペインは征服の帝国であることをごく自然に認めており、「正戦」の理論で征服の正当性を主張した。これにたいしてイギリスとフランスは、利用されていない不毛な土地を占領することを根拠として、帝国の正当性を主張した。

p. 153
フランスとイギリスが採用した植民方法の差異は、商業的な帝国と資本主義的な帝国の本質的な差異…が示されている…。

p. 154-6
スペインは金と銀の採掘に大きな関心を持っていた…。フランスがアメリカに植民地を設置した重要な動機は、毛皮の交易を拡大することにあった…。イギリスの植民の目的は、なによりも土地を収奪して、永続的に入植することにあった。

p. 157
ヴァッテル…の書物は「18世紀の後半において、所有に自然権があることを示す教科書」になっていた。
※典拠はパグデン

p. 158-9
ヴァッテルは、グロティウスの好戦的な姿勢には批判的であ[る]…。しかし、植民の正当性については、グロティウスと同じ考えだった。そしてグロティウスは名目だけでも現地の当局の許可が必要だと考えていたのに、ヴァッテルはこうした認可すら不要だと考えているようである。ただし、この無主地の原則についてのヴァッテルの考え方は、本質的には伝統的な思考方法から逸脱するものではない。使用されていない土地はそれを豊かにするために所有できるというにすぎないからだ。

p. 160
ところがロックが構築した所有と労働の理論は、イギリス国内で土地を囲い込んで、住民を退去させるための根拠となるばかりでなく、海外の植民地で、現地の住民の所有権を剥奪する行為を正当化する根拠となるものだった。

p. 162
ロックの論点は、所有権は事物に価値を作り出すことで生まれるというものである。

p. 163
この理論によると、たんに占有しただけでは所有権は生まれない。

p. 164
アメリカのインディアンの社会のように、ほんらいの意味での商業がなく、土地の改良が行われない場所では、本来の所有権は存在していない。

p. 164
ロックはさらに、植民地では政治的な管轄権よりも、私的な所有権が優位にあると主張することで、グロティウスを乗り越える。実際にロックの植民地の議論からは政治的な管轄権の理論がすっぽりと抜け落ちている…。ロックの植民の議論は、戦争の理論でも国際法の理論でもなく、国内でも海外での植民地でも妥当する私的所有の理論である。

p. 165
ロックの理論では帝国主義がなによりも、経済的な関係になっている・・・。こうした経済的な関係は、支配する権利だけでも、所有する権利だけでも正当化できない。事物のうちに交換価値を作り出す権利(実は義務)がなければ、こうした経済的な関係を正当化できない。

p. 167
[グロティウスのオランダにロックのイングランドを比べた時]ここで生まれた帝国は、支配圏を確立し、商業的な覇権を実現することだけを目的とするのではない。国内経済の至上命令と論理[たんに交換からではなく、競争条件りもとで生産して価値を作り出す]を拡張して、ほかの要素をその圏域にひきずりこもうとするのである。

p. 168
…資本主義は、純粋に経済的な搾取に依拠しながら、経済外的なアイデンティティや階層構造を排除する。だからこそ、市民の自由と平等というイデオロギーと共存できるのであり…自己正当化することができた。しかし自由と平等のイデオロギーが帝国主義と奴隷制という現状と対立するようになると、人種差別主義が好まれるようになる。そして人種の概念が資本主義によって放逐されたすべての経済外的なアイデンティティの代用をつとめるのである。

p. 171
さまざまな理由から、カナダは、アメリカ合衆国を形成するようになる13の植民地とはきわめて異質であり、新しい資本主義的な帝国主義の論理にあまり反応しなかった。

p. 173
イギリス領北アメリカで奴隷制が成長したということは注目に値する。というのは、資本主義発展のある段階で、非資本主義的な搾取の方法を採用するだけでなくもときにはこうした搾取方法が強化される場合もあることを示す実例だからである。

p. 174
資本主義経済によって、プランテーションで栽培する商品の市場が拡大し、労働力の需要は増大した。しかしこの時期にはまだ労働力を安価に売ろうとする大量のプロレタリアートは存在せず、隷属労働としてすぐに利用できるのはドレイ歯科なかったのである。

p. 180
アメリカが独立すると、かえって植民地かが資本主義的な至上命令から逃れられなくなったのは皮肉なことである。
→Charles Post, "The Agrarian Origins of US Capitalism," Journal Peasant Studies, 22(3), April 1995参照

p. 181
遠く離れた植民地の経済を支配するだけの規模も力もない状態では、経済的な至上命令によって帝国を構築することはきわめて困難だ…。こうして…インドでは…かつての非資本主義的な帝国に似た帝国が誕生する。

p. 182-3
18世紀の後半には、東インド会社はインドを単に商業的に重要な販路とみるのではなくて、直接の収入源とみなすようになった。そして商業で利益を獲得するよりも、徴税と貢納という昔ながらの非資本主義的で経済外的な搾取によって、生産者から余剰を直接に収奪することに関心を持つようになったのである。インドがこうした収益源として魅力的になるほど、領土を支配する必要性が高まる。徴税というかたちでの経済外的な貢納の収奪に立脚して、帝国が伝統的な非資本主義的帝国に近づいていけばいくほど、帝国は軍事的な専制国家の色彩を強める。

※このへんの議論は、Washbrook

p. 188
イギリス本国は、東インド会社が強要した[商業的なものから軍事的専制へと変質していった]非資本主義的な論理から帝国を救おうとしながら、ますますインドへの関与を深めていくことになる。そして、東インド会社の非資本主義的な論理へと、すなわち軍事的国家へとたえず引き戻される。

p. 191
イギリスのインド支配は結論が出せぬままに、[軍事的国家と資本主義的帝国主義とのあいだで]どっちつかずに終わった…。帝国が包括的な力をもった経済的な至上命令を、信頼できる支配手段として利用できるようになるのは、20世紀になってからのことである。