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『資本の帝国』抜き書き(第七章「『過剰な帝国主義』、終わりなき戦争」)2009/06/07

p. 228
大国間の対決は実質的に資本主義的な競争に変わったのである。

p. 229
この新しい帝国主義には、明確で確定的な目的がないからこそ、これほど巨大な軍事力が必要なのかもしれない。

p. 232
[テロとの戦争以前において]軍事的に介入するためには、政治的に「明確で実現可能な」目標が必要だというパウエル・ドクトリンは、冷戦以降のアメリカの外交政策の基盤となっていたのであり、これが否定されたことには重要な意味がある。

p. 233
「テロとの戦争」は、「無限の正義」作戦と呼ばれていた。

p. 234
このドクトリンは、道徳的な装いで飾りながら何世紀も語られてきた「正戦」の理論とは異なるものである。

p. 235-8
新しいドクトリンは、この正戦の伝統を受け継ぎながらも、何世紀もの間正戦の理論で駆使されてきた基本原則を放棄した…。テロとの戦争は「正戦」として必要な基準のうちの二つを満たしていない。軍事行動の目的を達成できる見込みがなければならないという基準と、手段が目的にふさわしいものでなければならないという基準[である]…。[これらの基準は]そもそも満たされていると主張されてもいない…。だからわたしたちは、新しい基準が確立されたと考えるべきなのだ。新しいドクトリンでは、目的を達成できない軍事行動を正当化できる…。あるいは軍事行動はもはや、いかなる特定の目的も必要としなくなった…。終わりのない戦争という新しい概念が、いまや登場したのである。

※この新しいドクトリンの系譜は、「麻薬との戦争」、「人道主義的な戦争」と流れて、「予防的な介入」へと続く。

※正戦の理論には、戦争を正当化する側面と正戦を抑止する側面がある。新しいドクトリンは、この抑止する側面を解除するところが新しいということ。

p. 241
"This is total war." ←リチャード・パールの言葉
「テロとの戦争」には、「段階というものがない」。

p. 242
この「終わりなき戦争」という新しいイデオロギーは、新しい帝国主義のニーズを満たすものである。この帝国主義は、20世紀になって、おそらく第二次大戦の後になって初めて登場したものであり、資本主義的な世界そのものである…。過去数十年間の大きな特徴は、資本主義が普遍的なものになったということだ。

p. 243
資本主義の至上命令はいま、世界中に及んでいる。しかしそのために領土を支配する国民国家が消滅したわけではない。反対に資本主義が普遍的なものになればなるほど、現地の国民国家が信頼できる形で秩序を保証する普遍的なシステムが必要になる。

p. 243
姿を現し始めたこの新しい帝国主義の支配方式の特徴は、複数の国民国家システムが世界を経済的に支配していることにある。

p. 244
この新しい概念をもっとも巧みに表現したのはジョン・ロックだった。ロックは植民地の収奪を根拠づけながら、政治的な統治の問題を、そしてある国の政治的な権力はどのような権利によって他国を支配できるかという問題を、あっさりと無視してしまうことができた。

p. 245-6
従属する国が市場の命令と「法則」の影響を受けやすくなると、帝国が直接に支配して資本の意志を強制する必要はなくなる。ただ…市場の命令は単一の国家権力をはるかに越えたところにまで及ぶが、こうした市場の命令そのものは経済外的な国民国家の権力が支えられなければならない…。権力が純粋に経済的なものになればなるほど、国民国家がますます重要になるのはそのためである。

p. 247
テロリストは国家と無縁であるからこそ、帝国の圧倒的な軍事力に抵抗しようとするのである。

p. 249
[グローバルなシステムのリスクについて]
まず…いわゆる「破たん国家」にみられるように、国内を実効的に統治する権力が存在しないために無秩序が発生し、資本が必要とする予測可能で安定した環境が損なわれる危険性がある…。これよもさらに大きな危険性は、こうした周辺的な国家ではなくて、アメリカ以外の大国がもたらすものである。中国やロシアなどのライバル国家が経済的に強大になれば、アメリカにとっては大きな脅威となる。それだけではない。資本主義の内部、しかもその核心に位置する諸国[たとえばEU]が、すぐにでもアメリカの脅威となりかねない。

p. 250
グローバルな資本主義経済のもとで帝国が支配するためには、競争を抑止しながら、市場と利益を生み出す経済的な競争条件を維持するという矛盾した課題のあいだで、微妙なバランスをとることが必要になる。

p. 251
このグローバルな資本主義の世界において帝国が覇権を維持するためには、ライバルとなる経済圏や諸国の力が強大にならないように抑えながら、ライバル国との戦争という手段を行使することだけは避けなければならない…。主要なライバル国を抑えるために軍事力を利用するとしても、戦争という形ではなく、間接的に行使する必要があるのである。

p. 257-9
[子ブッシュの]アメリカの外交政策が目指しているのは、主権をもった国民国家で構成されるグローバルなシステムにおいて覇権を確立することであり、そのために巨大な軍事力で他国を圧倒しようとしているのである。この点では、ブッシュ政権の外交政策にはなんら新しい要素はない…。ダレスが唱えた「巨大な報復」の概念…と、ブッシュの「先制攻撃による報復」概念とのあいだには、それほどの大きな距離はない…。[変わったのは原則ではなく]ドクトリンが機能する条件のほうなのだ…。かつてはアメリカの敵は共産主義諸国だった。しかししまや世界全体が潜在的な敵とみなされるようになった。

p. 262-3
帝国が国境のないグローバルな経済を支配し防衛する場合には、軍事力はどのような役割を果たすのだろうか…。そのためには軍事力はあたりにも〈鈍い〉装置なのだ…。このため軍事力を動員する際には、特定のターゲットや敵を対象として、特定の目的を達成することではなく、巨大な軍事力を誇示すること、だれにも異議の唱えようのない優越性をみせつけることに重きが置かれる…。

p. 263
「無限の戦争作戦」の目的は、ホッブズの「戦争状態」のようなものを作り出すことにあった…。ホッブズは『リヴァイアサン』において、「戦争で重要なのは実際の戦闘ではなく、あらゆる瞬間に既存の状態が維持できなくなる可能性があることを認識させることだ」と述べている。

p. 267
目的にも時間にも〈終わり〉というものがないこの戦争は、国境のない帝国、領土すらない無限の帝国の重要な手段である。しかしこの帝国も、領土と国境をもと制度と権力が運営しなければならない。一般に考えられているとは逆に、経済がグローバルなものとなったために、資本はますます国民国家の秩序維持機能に依存するようになった。そして同時に国民国家はこれまでになく、グローバルな経済の回路の形成に参与するようになったのである。こうして昔ながらの資本主義に見られた資本と国家の分業、経済的な権力と政治的な権力の分業はあいまいなものになってきた。そしてグローバルな経済において資本の力が及ぶ範囲と、それを維持するために必要な国民国家の権力の大きさのギャップが、ますます拡大してきた。ブッシュ政権はこのギャップを埋めるために新しい軍事ドクトリンを構築したのである。

以上、一冊抜き書き終わり。