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水曜日2009/06/17

午前中は、書類仕事。
午後は、学部ゼミの院生の個別面談三連発。
四時間目は、学部ゼミ
五時間目は、院ゼミ。例によって六時間目まで延長。
院ゼミは、学生の研究発表とテキスト輪読。
今日のテキストはHobden&Hobson, Historical Sociology and International Relations所収のMartin Shaw論文。以下、そのまとめ。

・20世紀前半まで、国家はnation-stateというより、nation-state-empirteであった。

※山室信一の国民帝国の発想と同根。

・20世紀の後半以降、the West(含む日本)で規範の収斂が進み、democratic peaceが妥当する大国家圏のようなものが立ち上がってくる。この圏域の妥当性は、1989/91以降決定的となる。日米欧間やEU内の利害対立は古典的なパワーポリティクス/リアルポリティークとはことなるもっと調整的なものである。

・このWestern statesの圏域では、ギデンズがいうようなpower containerとしての国家という概念は妥当しない。

・他方、このWestern statesの外部には、major non-western statesの圏域がある。たとえばロシアやインド、ブラジル、中国、インドネシアといった国々がここに入る。

・このnon-western statesは、むしろnation-state-empireとして/を目指してふるまう。

・現在の世界システムの分割線は、このWesternstatesとmajor non-western statesのあいだにひかれる。もちろんさらにその外部に破綻国家の圏域などを想定することもてきるが、それは二次的。

※このへんの議論は、田中明彦『新しい中世』の新中世圏、近代圏、混沌圏の概念化や、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』の脱歴史世界、歴史世界の分割に似ている。ただし、田中やフクヤマがzoneとしてだけ提示しているのに対して、ショーは、Western states non-Western statesがzoneであると同時に、layerとしても提示しており、そこにニュアンス(あいまいさ?)がある。

・20世紀後半以降の規範構造の変化は、革命の様式の変化としても捉えられる。すなわち、暴力革命から交渉による解決という手段の変化と、革命の大義名分の「民主主義」への収斂である。

・このことは具体的には三つの帰結をもたらす。
(1)前衛党の消滅
(2)グローバルな連帯への志向性
(3)国家建設の問題の前景化

・とくにstate buildingに関して、二つのlayerがあるという。Western stateへの仲間入りを目指すlayerと国連に加盟する主権国家としての承認をもとめるlayer (of global states)。

・「新しい戦争」(カルドー)の拡大にともなうジェノサイドの問題の前景化。「民族的ないし宗教的集団の、全面的ないし部分的殲滅を意図した破壊」という定義は役に立たない。定義がよくないのではなく、現実としてあらゆる紛争にジェノサイド的要素が浸潤しているから。

※全体としてリベラル・ホーク寄りの議論だが、かなりモデレートなほう。世界の再帝国化の議論との接点も。