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『資本の帝国』抜き書き(第六章「帝国主義、グローバリゼーション、国民国家」)2009/06/06

p. 192-3
大英帝国は、資本の命令を地球の隅々まで及ぼした…。ただし…帝国の富と収益を、資本の利益や資本主義の成長と混同してはなるまい…。資本主義が普遍的でグローバルな権力に成長し、資本の命令をグローバルなものとするためには、たんなる帝国の権力とは異なる権力のconduitが必要なのである。

p. 194
イギリスの産業化は、農業の資本主義化を原動力としていた…。フランスとドイツの資本主義と産業発展は、国内の動きよりも国外の要因に対処するものだった…。フランスもドイツも[資本主義の至上命令ではなく]ヨーロッパの地政学的および軍事的な競争のもたらす商業な帰結に動かされていた…。

P. 195-8
フランス社会の所有関係はこうした自律的な発展をもたらす性質のものではなかった…[∵農村からの無制限労働力供給がなかった]。ブルジョワがもっとも希望する地位は政府の役人であり、資本主義的な富を蓄積することを目指してはいなかった…。ナポレオン帝国は実は、征服した領土から大量に略奪し、戦争の費用を支払うためにまた別の戦争を起こすという、昔からの経済外的な方法で支えられていた…。国内産業を発展させた主要な原動力は、つねに軍事的な需要だった…。フォードの量産方式が発明され、自動車が消費財になるまでは、世界の自動車産業ではフランスが主導的な地位に立っていたのである。

p. 199
ドイツでは、国外からの軍事的な圧力に対処するために、フランスよりもさらに政府主導の経済開発が推進されて、大きな成功をおさめた。

p. 199
ヘーゲルの『法の哲学』(1820年)は、このドイツの軍事力の弱さに直面しながら、フランス国家とイギリス経済の脅威、すなわちナポレオンとアダム・スミスの両方の脅威に対抗する必要があるという前提に基づいて、政治哲学を構築している。

p. 201
[19世紀のヨーロッパ諸国は]イギリスで資本主義が興隆したために…産業化したのである。

p. 202-3
帝国主義の理論家、特にマルクス主義の理論家は、この現実を把握しようとしていた。カール・マルクスを先頭に、マルクス主義の重要な理論家たちは、資本主義がかなり局地的な現象であることを前提にしていた…。後期のマルクス主義者たはだれもが、資本主義が普遍的なかたちで世界を支配するようにはならず、近い時期にかならず崩壊するという前提から考察を始めていた。だから資本主義的でない世界をどう考察するかに大きな関心をもっていたのである…。帝国主義の問題とは、まったく資本主義的とはいえない世界、あるいはし資本主義が支配的でない世界において、資本主義がどのような位置を占めるかという問題だったのである。

p. 204
マルクス主義者たちは、帝国主義の犠牲になった非資本主義的な世界が、最終的かつ完全に資本主義のうちに吸収される前に、資本主義は終焉すると信じていた。

p. 205
[たとえばローザ・ルクセンブルクの考え方では]資本主義は「媒体としても、土壌としても、ほかの経済システムを必要とする」ため、それだけでは存在しえない。

p. 206
われわれは、国際関係のすべてが資本主義に内部化され、資本主義の至上命令に支配されるようになった世界を説明するための体系的な帝国主義の理論をいまだ持ち合わせてはいない。その理由としてすくなくともひと挙げられるのは、資本主義の至上命令が帝国的支配の普遍的道具となっているような、多かれ少なかれ普遍的な資本主義の世界というものが、きわめて最近になって生じてきたものだということである。

p. 206-8
第一次大戦が終わると、いくつかの巨大な帝国の権力は崩壊しかけていた。戦後の1918年には、古典的な帝国主義は実質的に終焉を迎えていた。そして世界ではじめてアメリカ合衆国がほんとうの意味での経済的な帝国になる兆候を示し始めていた…。第二次大戦は、資本主義諸国が経済的な目標を追求しながら、直接に領土の拡張を目的として戦った最後の大きな戦争[である]…。またこの戦争は、戦争に踏み切った諸大国が、経済的な利益を追求しながら、市場の至上命令ではなく、完全に経済外的な力に依存していた最後の世界戦争[である]…。だから帝国の権力が経済的な力だけで競う新しい時代が始まるのは、この大戦に敗れたドイツと日本が戦勝国から大きな援助を受けて復興し、アメリカ合衆国の主要な経済的なライバルとして登場してからのことである…。軍事的および地政学的な対立軸は、もはや資本主義権力の間ではなく、資本主義の世界と発展した非資本主義世界という東西世界の間に引かれるようになる。そして旧ソ連が資本主義の圏域に引き寄せられて冷戦が終わると、この対立軸も消滅した…。それまではアメリカの軍事力は、帝国を拡張するために、かなり正確に定義された目標を追求しながら、帝国主義的な権力同士の競争で勝利するための手段として使われていた。しかしいまや軍事力は、アメリカ資本の利益を守るために世界の警察の役割を果たすという、終りのない目的のために行使されるようになった。

p. 209
この新しい帝国主義は、もはや従属する植民地を統治することを目的としていない・・・。こうして生まれた新しい世界を構成するのは、複数の国民国家である。

p. 213
国連は、グローバルな経済とほとんど無関係であり、複数の国家の集まりとして、世界の政治的な秩序を維持するような見かけを作り出す役割を果たしている。しか国連が存在することで、世界を支配するアメリカの目的にそぐわない国際的な組織が成立することが妨げられていることも忘れてはなるまい。

p. 213
[1960/70s以降、帝国としてのアメリカは]もはや市場の拡張を目指さなくなっている。

p. 214
[1970s以降]アメリカ経済は…長い停滞…の時期を迎え…た。その原因は、過剰な生産能力のために過剰生産が行われたことにある。これは資本主義に…固有の危機である…。問題はいまや、どのような時期にどのような場所で、この危機を解消するかということにある。

※ここで典拠として、ブレンナー、ハーヴェイ、ボンド。

p. 216
現在のグローバリゼーションとは、従属国の経済を開放させ、帝国の資本の影響をうけやすくしておきながら、帝国の経済はできるだけその逆効果をうけないように保護しておくことにほかならない。

p. 218
たとえば国内総生産に占める国際貿易の位置、あるいはグローバルな生産に占めるグローバルな輸出の比率は低下している。だからほんとうの意味でのグローバリゼーションは進んでいないとも考えられるのだ。

p. 218
労働者の賃金や労働条件には、世界の各地でまだきわめて大きな格差が残っている。

p. 219
グローバルな資本に国境を開放することと、世界中の労働者の社会的な条件が均一なものとならないように過剰な統合を阻止すること―この矛盾した必要性のあいだで微妙なバランスをとる必要があり、その役割を果たすのが国民国家なのである。

p. 221
グローバルな資本主義の力の源泉は、資本主義であることよりも、グローバルであることにあると考える[のは誤った前提である]。

p. 222
[グローバル資本主義に対抗しているつもりの]こうした運動に参加している多くの人は、それほど反資本主義的でも反グローバリズム的でもない。たんにネオリベラリズムに反対しているか、とくに悪名の高い多国籍企業を批判しているだけのことが多い。

p. 223
グローバリゼーションとは、ほんとうの意味で統合された世界経済ではないということ、そして衰退しつつある国民国家の集まりではないこと…。

p. 224
グローバリゼーションの時代の特徴のひとつとして、国家が社会福祉から手を引き、生活水準を改善する試みを放棄する傾向を示しているのは確かだ…。しかし…資本主義の初期の時代からというもの、国民国家が果たしてきた社会福祉の機能なしでグローバルな資本主義が存続できないことも疑問の余地がないのである。

p. 225
開発途上国もこれまでは、大家族や村落共同体のような伝統的な制度に社会福祉をゆだねることができたが、いまではこうした機能の少なくとも一部は国家に担わせることを求める圧力が高まっている。

p. 226
現在の世界は、これまでにないほどに国民国家の世界になっている。

p. 226
新しい帝国主義を統治し、実行しているのが、複数の国民国家のシステムであるために多くの問題が生まれているのは明らかである…。最終的には、こうしたシステムを管理するために、すべての諸国を従わせることのできる唯一の圧倒的な軍事力をもつ帝国の権力が求められるようになるのは避けがたいことだろう。同時にこの権力は、資本主義が必要とする秩序だった予見可能性を撹乱してはならないし、なによりも重要な市場と資本の源泉を戦争によって危険にさらしてはならない。これが世界で唯一の超大国が直面している難問なのである。

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