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業務日誌2009/06/02

月曜日

例によって朝イチの新幹線で京都へ。車内で珍しく寝てしまい、あとはメールの返事など。

インフルエンザによる休講明けの授業が多くフォローに追われる。

二時間目、輪読。アーリ『社会を越える社会学』ももう第五章。

三時間目、Socio-Cultural Studies。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の増補版第十章Census, Map, Museum。

五時間目、オムニバスゼミ。リッツァの無のグローバル化論文を読む。六時間目に延長して補講。

火曜日

奇跡的に会議も授業も面談もない日になる。
朝から研究室で読書と資料の整理。
はかどり具合はまあまあだが、研究への意欲が備給されるのを感じて満足。

水曜日2009/06/04

水曜日

前日のよい気分がウソのように、寝起きが悪く、朝から集中力がない。

とりあえず、研究室で資料整理と授業準備のための軽い読書。

四時間目に学部ゼミ。濃いメンバー二人の報告を同じ回にセッティングしてしまい、あまつさえ朝からの低集中力が災いして、時間配分をミスり、二人目の報告は半分で打ち切り、次回へキャリーオーバー。

五時間目と六時間目は院ゼミ。M1の学生の研究報告とテキスト輪読。Historical Sociology of International Relationsの第二章。本全体は良い論文集なのだが、この章は最悪につまらない。というか無駄。報告者が気を利かせて少し内容を足してくれたので、なんとか間はもったが、私自身は朝からの不調もあって、あまり実のある話もできず、われながら学生諸君には悪いことをしてしまった。
M1の学生の研究報告では、こちらが想定していたよりも大きな問題意識を抱えていることを知らされる。夏までにもう少し理論的なフォーカスをしぼっていかなければならない。

朝から集中力がないのところへ、どういうわけかこの日は授業の前後に、猛烈な数の学生から相談事が持ち込まれ、いつもに増して回転数の低い頭でむりくり答えるハメに。さらに六時間目のあと、かなりの数のしかも多くは急ぎの相談メールもあり、研究室を出る頃には、ふらふら。やむをえず帰路は京都駅までタクシーで。帰る道々、『資本の帝国』の第五章の抜き書きをブログにアップしようとしたら、ウェブ接続の不具合で消えてしまう。がっくり。

備忘2009/06/04

The Global Cold War : Third World Interventions and the Making of Our Times

Westad, Odd Arne
Cambridge Univ Pr (2005/11 出版)

『資本の帝国』抜き書き(第五章「海外に拡張する経済の至上命令」)2009/06/05

p. 150
資本主義は経済的な至上命令だけを原動力とする。まず生産者は、何も所有しないので、生計をえるためには労働力をうらざるをえない。しかし他方で、搾取する側も経済的な至上命令に服しているので、競争しながら蓄積せざるをえなくなる。ところがこうした経済的な至上命令を実行し、しかも維持するためには、経済外的な力が必要になる。イングランドは帝国の領土で経済的な至上命令が実行されるように、まず植民地で強制力を使って入植し、収奪した。

p. 150
大英帝国にはそれまでの植民計画と異なる重要な特徴があった。帝国のホームから発せられる資本主義の命令がすべてに優先したのである。

※アイルランドはその「実験場」となるが、インドではそれが貫徹しない。

p. 152
皮肉なことに、インドの植民地においてイギリスは、以前の非資本主義的な帝国主義に逆戻りするように見える。東インド会社の商業的な帝国主義が復活し、イギリスがインドの領土を支配する帝国を構築するようにみえるからである。資本主義の至上命令と、領土の支配をめざす帝国主義の要求の間に強い緊張が維持され、これが最後まで大英帝国のありかたを決定づけることになる。

p. 153
スペインは征服の帝国であることをごく自然に認めており、「正戦」の理論で征服の正当性を主張した。これにたいしてイギリスとフランスは、利用されていない不毛な土地を占領することを根拠として、帝国の正当性を主張した。

p. 153
フランスとイギリスが採用した植民方法の差異は、商業的な帝国と資本主義的な帝国の本質的な差異…が示されている…。

p. 154-6
スペインは金と銀の採掘に大きな関心を持っていた…。フランスがアメリカに植民地を設置した重要な動機は、毛皮の交易を拡大することにあった…。イギリスの植民の目的は、なによりも土地を収奪して、永続的に入植することにあった。

p. 157
ヴァッテル…の書物は「18世紀の後半において、所有に自然権があることを示す教科書」になっていた。
※典拠はパグデン

p. 158-9
ヴァッテルは、グロティウスの好戦的な姿勢には批判的であ[る]…。しかし、植民の正当性については、グロティウスと同じ考えだった。そしてグロティウスは名目だけでも現地の当局の許可が必要だと考えていたのに、ヴァッテルはこうした認可すら不要だと考えているようである。ただし、この無主地の原則についてのヴァッテルの考え方は、本質的には伝統的な思考方法から逸脱するものではない。使用されていない土地はそれを豊かにするために所有できるというにすぎないからだ。

p. 160
ところがロックが構築した所有と労働の理論は、イギリス国内で土地を囲い込んで、住民を退去させるための根拠となるばかりでなく、海外の植民地で、現地の住民の所有権を剥奪する行為を正当化する根拠となるものだった。

p. 162
ロックの論点は、所有権は事物に価値を作り出すことで生まれるというものである。

p. 163
この理論によると、たんに占有しただけでは所有権は生まれない。

p. 164
アメリカのインディアンの社会のように、ほんらいの意味での商業がなく、土地の改良が行われない場所では、本来の所有権は存在していない。

p. 164
ロックはさらに、植民地では政治的な管轄権よりも、私的な所有権が優位にあると主張することで、グロティウスを乗り越える。実際にロックの植民地の議論からは政治的な管轄権の理論がすっぽりと抜け落ちている…。ロックの植民の議論は、戦争の理論でも国際法の理論でもなく、国内でも海外での植民地でも妥当する私的所有の理論である。

p. 165
ロックの理論では帝国主義がなによりも、経済的な関係になっている・・・。こうした経済的な関係は、支配する権利だけでも、所有する権利だけでも正当化できない。事物のうちに交換価値を作り出す権利(実は義務)がなければ、こうした経済的な関係を正当化できない。

p. 167
[グロティウスのオランダにロックのイングランドを比べた時]ここで生まれた帝国は、支配圏を確立し、商業的な覇権を実現することだけを目的とするのではない。国内経済の至上命令と論理[たんに交換からではなく、競争条件りもとで生産して価値を作り出す]を拡張して、ほかの要素をその圏域にひきずりこもうとするのである。

p. 168
…資本主義は、純粋に経済的な搾取に依拠しながら、経済外的なアイデンティティや階層構造を排除する。だからこそ、市民の自由と平等というイデオロギーと共存できるのであり…自己正当化することができた。しかし自由と平等のイデオロギーが帝国主義と奴隷制という現状と対立するようになると、人種差別主義が好まれるようになる。そして人種の概念が資本主義によって放逐されたすべての経済外的なアイデンティティの代用をつとめるのである。

p. 171
さまざまな理由から、カナダは、アメリカ合衆国を形成するようになる13の植民地とはきわめて異質であり、新しい資本主義的な帝国主義の論理にあまり反応しなかった。

p. 173
イギリス領北アメリカで奴隷制が成長したということは注目に値する。というのは、資本主義発展のある段階で、非資本主義的な搾取の方法を採用するだけでなくもときにはこうした搾取方法が強化される場合もあることを示す実例だからである。

p. 174
資本主義経済によって、プランテーションで栽培する商品の市場が拡大し、労働力の需要は増大した。しかしこの時期にはまだ労働力を安価に売ろうとする大量のプロレタリアートは存在せず、隷属労働としてすぐに利用できるのはドレイ歯科なかったのである。

p. 180
アメリカが独立すると、かえって植民地かが資本主義的な至上命令から逃れられなくなったのは皮肉なことである。
→Charles Post, "The Agrarian Origins of US Capitalism," Journal Peasant Studies, 22(3), April 1995参照

p. 181
遠く離れた植民地の経済を支配するだけの規模も力もない状態では、経済的な至上命令によって帝国を構築することはきわめて困難だ…。こうして…インドでは…かつての非資本主義的な帝国に似た帝国が誕生する。

p. 182-3
18世紀の後半には、東インド会社はインドを単に商業的に重要な販路とみるのではなくて、直接の収入源とみなすようになった。そして商業で利益を獲得するよりも、徴税と貢納という昔ながらの非資本主義的で経済外的な搾取によって、生産者から余剰を直接に収奪することに関心を持つようになったのである。インドがこうした収益源として魅力的になるほど、領土を支配する必要性が高まる。徴税というかたちでの経済外的な貢納の収奪に立脚して、帝国が伝統的な非資本主義的帝国に近づいていけばいくほど、帝国は軍事的な専制国家の色彩を強める。

※このへんの議論は、Washbrook

p. 188
イギリス本国は、東インド会社が強要した[商業的なものから軍事的専制へと変質していった]非資本主義的な論理から帝国を救おうとしながら、ますますインドへの関与を深めていくことになる。そして、東インド会社の非資本主義的な論理へと、すなわち軍事的国家へとたえず引き戻される。

p. 191
イギリスのインド支配は結論が出せぬままに、[軍事的国家と資本主義的帝国主義とのあいだで]どっちつかずに終わった…。帝国が包括的な力をもった経済的な至上命令を、信頼できる支配手段として利用できるようになるのは、20世紀になってからのことである。

『資本の帝国』抜き書き(第六章「帝国主義、グローバリゼーション、国民国家」)2009/06/06

p. 192-3
大英帝国は、資本の命令を地球の隅々まで及ぼした…。ただし…帝国の富と収益を、資本の利益や資本主義の成長と混同してはなるまい…。資本主義が普遍的でグローバルな権力に成長し、資本の命令をグローバルなものとするためには、たんなる帝国の権力とは異なる権力のconduitが必要なのである。

p. 194
イギリスの産業化は、農業の資本主義化を原動力としていた…。フランスとドイツの資本主義と産業発展は、国内の動きよりも国外の要因に対処するものだった…。フランスもドイツも[資本主義の至上命令ではなく]ヨーロッパの地政学的および軍事的な競争のもたらす商業な帰結に動かされていた…。

P. 195-8
フランス社会の所有関係はこうした自律的な発展をもたらす性質のものではなかった…[∵農村からの無制限労働力供給がなかった]。ブルジョワがもっとも希望する地位は政府の役人であり、資本主義的な富を蓄積することを目指してはいなかった…。ナポレオン帝国は実は、征服した領土から大量に略奪し、戦争の費用を支払うためにまた別の戦争を起こすという、昔からの経済外的な方法で支えられていた…。国内産業を発展させた主要な原動力は、つねに軍事的な需要だった…。フォードの量産方式が発明され、自動車が消費財になるまでは、世界の自動車産業ではフランスが主導的な地位に立っていたのである。

p. 199
ドイツでは、国外からの軍事的な圧力に対処するために、フランスよりもさらに政府主導の経済開発が推進されて、大きな成功をおさめた。

p. 199
ヘーゲルの『法の哲学』(1820年)は、このドイツの軍事力の弱さに直面しながら、フランス国家とイギリス経済の脅威、すなわちナポレオンとアダム・スミスの両方の脅威に対抗する必要があるという前提に基づいて、政治哲学を構築している。

p. 201
[19世紀のヨーロッパ諸国は]イギリスで資本主義が興隆したために…産業化したのである。

p. 202-3
帝国主義の理論家、特にマルクス主義の理論家は、この現実を把握しようとしていた。カール・マルクスを先頭に、マルクス主義の重要な理論家たちは、資本主義がかなり局地的な現象であることを前提にしていた…。後期のマルクス主義者たはだれもが、資本主義が普遍的なかたちで世界を支配するようにはならず、近い時期にかならず崩壊するという前提から考察を始めていた。だから資本主義的でない世界をどう考察するかに大きな関心をもっていたのである…。帝国主義の問題とは、まったく資本主義的とはいえない世界、あるいはし資本主義が支配的でない世界において、資本主義がどのような位置を占めるかという問題だったのである。

p. 204
マルクス主義者たちは、帝国主義の犠牲になった非資本主義的な世界が、最終的かつ完全に資本主義のうちに吸収される前に、資本主義は終焉すると信じていた。

p. 205
[たとえばローザ・ルクセンブルクの考え方では]資本主義は「媒体としても、土壌としても、ほかの経済システムを必要とする」ため、それだけでは存在しえない。

p. 206
われわれは、国際関係のすべてが資本主義に内部化され、資本主義の至上命令に支配されるようになった世界を説明するための体系的な帝国主義の理論をいまだ持ち合わせてはいない。その理由としてすくなくともひと挙げられるのは、資本主義の至上命令が帝国的支配の普遍的道具となっているような、多かれ少なかれ普遍的な資本主義の世界というものが、きわめて最近になって生じてきたものだということである。

p. 206-8
第一次大戦が終わると、いくつかの巨大な帝国の権力は崩壊しかけていた。戦後の1918年には、古典的な帝国主義は実質的に終焉を迎えていた。そして世界ではじめてアメリカ合衆国がほんとうの意味での経済的な帝国になる兆候を示し始めていた…。第二次大戦は、資本主義諸国が経済的な目標を追求しながら、直接に領土の拡張を目的として戦った最後の大きな戦争[である]…。またこの戦争は、戦争に踏み切った諸大国が、経済的な利益を追求しながら、市場の至上命令ではなく、完全に経済外的な力に依存していた最後の世界戦争[である]…。だから帝国の権力が経済的な力だけで競う新しい時代が始まるのは、この大戦に敗れたドイツと日本が戦勝国から大きな援助を受けて復興し、アメリカ合衆国の主要な経済的なライバルとして登場してからのことである…。軍事的および地政学的な対立軸は、もはや資本主義権力の間ではなく、資本主義の世界と発展した非資本主義世界という東西世界の間に引かれるようになる。そして旧ソ連が資本主義の圏域に引き寄せられて冷戦が終わると、この対立軸も消滅した…。それまではアメリカの軍事力は、帝国を拡張するために、かなり正確に定義された目標を追求しながら、帝国主義的な権力同士の競争で勝利するための手段として使われていた。しかしいまや軍事力は、アメリカ資本の利益を守るために世界の警察の役割を果たすという、終りのない目的のために行使されるようになった。

p. 209
この新しい帝国主義は、もはや従属する植民地を統治することを目的としていない・・・。こうして生まれた新しい世界を構成するのは、複数の国民国家である。

p. 213
国連は、グローバルな経済とほとんど無関係であり、複数の国家の集まりとして、世界の政治的な秩序を維持するような見かけを作り出す役割を果たしている。しか国連が存在することで、世界を支配するアメリカの目的にそぐわない国際的な組織が成立することが妨げられていることも忘れてはなるまい。

p. 213
[1960/70s以降、帝国としてのアメリカは]もはや市場の拡張を目指さなくなっている。

p. 214
[1970s以降]アメリカ経済は…長い停滞…の時期を迎え…た。その原因は、過剰な生産能力のために過剰生産が行われたことにある。これは資本主義に…固有の危機である…。問題はいまや、どのような時期にどのような場所で、この危機を解消するかということにある。

※ここで典拠として、ブレンナー、ハーヴェイ、ボンド。

p. 216
現在のグローバリゼーションとは、従属国の経済を開放させ、帝国の資本の影響をうけやすくしておきながら、帝国の経済はできるだけその逆効果をうけないように保護しておくことにほかならない。

p. 218
たとえば国内総生産に占める国際貿易の位置、あるいはグローバルな生産に占めるグローバルな輸出の比率は低下している。だからほんとうの意味でのグローバリゼーションは進んでいないとも考えられるのだ。

p. 218
労働者の賃金や労働条件には、世界の各地でまだきわめて大きな格差が残っている。

p. 219
グローバルな資本に国境を開放することと、世界中の労働者の社会的な条件が均一なものとならないように過剰な統合を阻止すること―この矛盾した必要性のあいだで微妙なバランスをとる必要があり、その役割を果たすのが国民国家なのである。

p. 221
グローバルな資本主義の力の源泉は、資本主義であることよりも、グローバルであることにあると考える[のは誤った前提である]。

p. 222
[グローバル資本主義に対抗しているつもりの]こうした運動に参加している多くの人は、それほど反資本主義的でも反グローバリズム的でもない。たんにネオリベラリズムに反対しているか、とくに悪名の高い多国籍企業を批判しているだけのことが多い。

p. 223
グローバリゼーションとは、ほんとうの意味で統合された世界経済ではないということ、そして衰退しつつある国民国家の集まりではないこと…。

p. 224
グローバリゼーションの時代の特徴のひとつとして、国家が社会福祉から手を引き、生活水準を改善する試みを放棄する傾向を示しているのは確かだ…。しかし…資本主義の初期の時代からというもの、国民国家が果たしてきた社会福祉の機能なしでグローバルな資本主義が存続できないことも疑問の余地がないのである。

p. 225
開発途上国もこれまでは、大家族や村落共同体のような伝統的な制度に社会福祉をゆだねることができたが、いまではこうした機能の少なくとも一部は国家に担わせることを求める圧力が高まっている。

p. 226
現在の世界は、これまでにないほどに国民国家の世界になっている。

p. 226
新しい帝国主義を統治し、実行しているのが、複数の国民国家のシステムであるために多くの問題が生まれているのは明らかである…。最終的には、こうしたシステムを管理するために、すべての諸国を従わせることのできる唯一の圧倒的な軍事力をもつ帝国の権力が求められるようになるのは避けがたいことだろう。同時にこの権力は、資本主義が必要とする秩序だった予見可能性を撹乱してはならないし、なによりも重要な市場と資本の源泉を戦争によって危険にさらしてはならない。これが世界で唯一の超大国が直面している難問なのである。